遊び場ワールドレポート019

 

〜埼玉県川越市〜

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川越菓子屋横町

昔懐かしい駄菓子・ベーゴマ

菓子屋横町は、江戸時代には、養寿院の門前町として栄え、明治の始めから江戸っ子好みの気取らない駄菓子を製造し始めたと言われる場所。

昭和初期の最盛期には70店舗もの菓子屋が軒を連ねていました。

【DATA】 ・・ご訪問の際は必ず公式HPやお電話でご確認下さい
PLACE350-0062埼玉県川越市元町二丁目
備考菓子屋横町近隣図(菓子屋マップ,38k)
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■菓子屋横町

川越の蔵造りの町並から裏通りに入ると、昔懐かしい駄菓子を扱うお店や、名物芋きんつばの実演販売をするお店などが並ぶ「菓子屋横町」があります。

「昔風」のものを再現するテーマパークも多い中、ここは昔の横町がそのまま残されたような場所。昭和初期には70余軒が軒を連ねたとありますが、今でも規模は小さいながらかなりの賑わいを見せています。日暮里にも同じ様な駄菓子屋横町がありますが、川越の方が店の数的に多いかな、という印象です。

軒先では、昔懐かしい駄菓子が廉価で並んでいるのは当然として、ベーゴマ、輪ゴム銃、銀杏細工の人形などのおもちゃがまた郷愁を感じさせます。横町を歩きながら、芋菓子、みたらし、せんべいなどに舌鼓を打つのもまた一興。

『菓子屋横町は、明治の始め鈴木藤左右衛門がこの地に住んで、江戸っ子好みの気取らない駄菓子を製造したのが始まりといわれ、江戸時代には、養寿院の門前町として栄えたところである。』

『明治の後半からは「のれん分け」により、店の数も次第に増え、大正時代に入ってからは、菓子問屋の多かった東京の神田、浅草、錦糸町などが大正十二年の大震災で消失してしまった影響を受けて、川越の菓子製造業がより盛んになっていった。 』

『この横町の最盛期は昭和の初期で、七〇余店が軒を連ねチソパン・千歳飴・金太郎飴・麦落雁・水ようかん・花林糖など数十種類の菓子が製造されていた。 』

『しかしながら、庶民の菓子として親しまれていた駄菓子も、時代とともに移り変わる嗜好の変化によって、昔の活況が見られなくなり、現在では十余軒が手作りの生菓子や飴菓子を作っている。最近は駄菓子の良さが見直されてきているため、今後の発展が期待されている。』


(以上、立て看板より)

■駄菓子の資料館〜田中屋店内

明治18年に建てられたという田中屋さんの店内に足を踏み入れると、昔の店舗の様子をそのまま資料館として残していて、中に入るとドロップの木型や鉄腕アトムのアイテム類、山口百恵のブロマイドに大村昆のオロナインCの看板まで、雑然と並んでいました(閲覧無料)。奥の方は資料館になっていて、その昔菓子屋横町で使われていたという菓子道具を展示しています。

■松陸・いもきんつば

1個100円の実演販売。これ、ホントにおいしかった!おみやげに10コ購入。やわらかい芋に、湯葉のような薄皮が巻いてあります

(訪問:2001年4月15日)

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